「差別を煽動する明確な意図」DaiGo発言に生活困窮者支援団体が緊急声明 (2021年8月14日掲載) - ライブドアニュース
ざっくり言うと
- メンタリストDaiGoが「ホームレスの命はどうでもいい」などと発言した件
- 生活困窮者を支援する4団体が14日、連名で緊急声明を出した
- 差別を煽動する明確な意図に基づいて発せられたもの、などと批判している
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「世界の蒸気機関車・鉄道車両」は、産業革命以降の近代化を支えた鉄道史の象徴である蒸気機関車と、それに連なる多様な鉄道車両を体系的に調べるための名称です。蒸気機関車は19世紀初頭にイギリスで誕生し、その後ヨーロッパ、アジア、アメリカなど世界各地へと広まりました。それぞれの地域の気候、地形、産業に合わせて多種多様な形式が生まれ、車両のデザインや機能には文化的・技術的な特色が反映されています。また、旅客用車両、貨物車両、特別列車などの発展も、社会や経済活動の変化と密接に結びついてきました。本調査では、各国を代表する名機や特色ある車両の構造・歴史的背景を明らかにし、鉄道技術の進歩と人々の生活との関わりを総合的に探ります。
76年前、長岡空襲を体験し、今年88歳にして初めて語り部として活動を始めた女性が新潟県長岡市にいます。なぜこれまで話さなかったのか。空襲で亡くなった母の無念を背負い、「つらい過去」と「自ら考えて生きる意味」を語りました。 ※前編<母との思い出が途切れた日>からの続き 櫻井さんは戦後、中学校の教師として過ごし結婚。2人の女の子の母にもなります。 【記者】 「教え子の皆さんに戦争について話をする?」 【長岡空襲体験者 櫻井信子さん(88)】 「ありません。私は全然話していません。話すのがつらいということでしょうね、きっとね」 それでも今、語るのには理由があります。母の無念です。 【櫻井信子さん】「私の母などは5人の子どもをおいて、家が焼け出されて、これからどうしていくだろうと思うと、とても死にきれなかったと思います。戦災でなくなった人たち、1500人近くの人がいるわけですけれど、その一人一人にそういう思いがあったと思うんです。生きたいけれど、生きられない」 「生きたい」。現代の日本で、この言葉をかみしめる人がどれだけいるでしょうか。 【櫻井信子さん】「私は母に対しては、何もしてやれなかったという思いだけが残っています。無念な思いを抱えながら亡くなっていったということ。そのことに皆さんも心を寄せてもらいたいと思っています」 今年6月、語り部やボランティアとして活動していた、長岡市の金子登美さんが87歳で亡くなりました。 【金子登美さん(当時86歳)】※去年7月 「戦争で命を失った人たちが置いていってくれた平和なんですね。それを決して忘れてはいけない」 【櫻井信子さん】 「立派だと思いますよ。それこそ、つらいことがいっぱいおありだったんでしょうけれど」 金子さんの思いを受け継ぐ語り部の一人として今年、76年間胸に抱え続けた思いを語り始めた櫻井さんの覚悟。私たちは受け止め、つないでいくべきではないでしょうか。 桜井さんは、ゆくゆくは中学校などに出向いて、若い人たちに伝えたいことがあります。自ら考えて生きる大切さです。 【櫻井信子さん】「国のために命を捨てても悔いのないような、そういう教育でしたね。それぞれの人が自分で考えていたわけではなくて、一般の庶民は上の方から言われれば、それはそうだと思って協力していたわけですからね。今の若い人たちに自分の考えで、自分の頭でものを考えて、判断ができるような人間になってほしいと思います」 母が感じた無念を生まないために、一人一人が平和をつないでいくために、櫻井さんの語り部としての活動は始まったばかりです。
BSN新潟放送
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メンタリストのDaiGoが14日、自身の公式YouTubeチャンネルで生配信を実施。7日に配信した動画でホームレス生活者や生活保護者の命を軽視するような発言をしたことについて13日に行った謝罪を撤回し、改めて深く謝罪した。 【写真】日本PTA全国研究大会で、子育てについて話すDaiGo DaiGoはこの日、YouTubeで「前日の謝罪を撤回致します」のタイトルで生配信。前日までとは違い、この日はスーツにネクタイ姿で登場し、冒頭で「このようなタイトルで動画を公開することを申し訳なく思っています。申し訳ございませんでした」と頭を下げた。続けて、前夜の反省を「単なる僕個人の反省にしかなっていない、真の意味の謝罪になってないと考えた」「想像力も足りなかったし理解も足りなかった」と自己否定した。 前夜に謝罪配信を行った後、知人の生活保護受給者の話を聞くなどした上で、「もし、自分の母親が生活保護を受けていたら」と考えたという。「自分の大事な人の生きる価値を否定される状況になったら、当然そういう反応をするだろうな、と。本当にひどいことをしてしまった、と。誰も人の生きる意味を奪っていいと言うことはないと思う。大変申し訳ございませんでした」と謝罪した。 さらに「自分の発言は差別的で、ヘイトスピーチ」と自ら断罪。「人として、あってはならない。ひたすら後悔の念しかありません」などと繰り返した。また、「当事者や家族以外にも多くの人生を否定してしまった」と、生活困窮者の支援団体についても言及。「支援団体の方々って、自分のプライベートの時間を割いてでも支援に関わっている方がたくさんいらっしゃって、自分の欲だったり仕事上の出世を超えてまで助けたいというのは、素晴らしいこと。人生をかけてやっていらっしゃる方がたくさんいらっしゃって、そういう方の人生も否定してしまった」と反省の言葉を並べた。 DaiGoは7日、YouTubeで「生活保護の人達に食わせる金があるのなら猫を救って欲しい」「自分にとって必要の無い命は僕にとっては軽い」などと発言。多くの反対意見が殺到し、炎上していた。12日夜から13日未明に公開した動画では「命は平等っていうけど優劣は全然ある」などと説明。自身に対する反論の声には僕を叩いている人たちよりも僕は彼らのことを保護してますよ。何でかって言うと、税金めちゃくちゃ払ってるから」と挑発的な反論を行った。 13日夜には生配信を行い、「無知が招いた失態だな」などと謝罪。「今までの中で一番良くないことをしたと反省している」「本当に今回は反省しました。自分が知らないことについて批判するのは良くなかったし、らしくなかった」と、悔恨の言葉を並べていた。一連の流れを受け、生活困窮者を支援する4団体が14日、公式サイトに連名で緊急声明を発表。DaiGoに再度の謝罪を求めるとともに、菅義偉首相に対してDaiGoの発言を誤りだと明言すること、またメディアに対してもDaiGoの起用を控えることなどを求めていた。 (よろず~ニュース編集部)
よろず~ニュース
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色鉛筆を使えるようにしてほしい――。死刑囚が拘置所から国に対して訴えを起こした。33歳の死刑囚がなぜ色鉛筆にこだわるのか。そこには死刑判決確定から7年がたつ彼の償いの形があった。
拘置所内で色鉛筆が使えなくなったのは憲法が定める表現の自由の侵害だとして、奥本章寛(あきひろ)死刑囚(33)=福岡拘置所に収監中=が、国を相手に法務省の訓令の取り消しを求めて東京地裁に提訴したことが、代理人弁護士への取材で判明した。提訴は7月30日付。
奥本死刑囚は、宮崎市で2010年に家族3人が殺害された事件で殺人などの罪に問われ、14年に死刑判決が確定した。
その後、遺族の一人が奥本死刑囚との面会などを通じて裁判のやり直しを求めたため、代理人弁護士は「死刑か無期懲役かを慎重に審理してほしい」とする遺族の上申書を新証拠に17年3月、再審を請求。宮崎地裁と福岡高裁宮崎支部は再審を認めず、奥本死刑囚は18年3月、最高裁に特別抗告した。一方、奥本死刑囚が色鉛筆で描いた絵は…
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名古屋出入国在留管理局(名古屋市)に収容されていたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が今年3月に死亡した問題で、出入国在留管理庁は10日、「危機意識に欠け、組織として事態を正確に把握できていなかった」とする最終報告書を発表した。体調不良の訴えや、顕著な体の異変への医療的な対応が不十分だったとし、併せて再発防止に向けた改善策も提示した。
また、当時の名古屋入管局長と次長を訓告、警備監理官ら2人を厳重注意の処分にした。
ウィシュマさんは留学生として2017年に来日。19年1月から不法残留となり、20年8月に名古屋入管に収容された。21年1月15日以降、吐き気や体のしびれを訴え、体調を悪化させて3月6日に亡くなった。
報告書は、ウィシュマさんの死因は病死と認められるとしつつ、複数の要因が影響した可能性があり、死亡に至った具体的な経過は特定できなかったとした。
その上で、名古屋入管の医療的な対応について検討。週2回勤務の非常勤内科医師しか配置できない制約がある中、名古屋入管の幹部は、ウィシュマさんらの体調や診療の申し出を的確に把握し、必要な対応を検討・指示すべきだったのに、こうした体制を整備していなかったと指摘した。看守の多くはウィシュマさんの体調不良の訴えを「(一時的に収容を解く)仮放免許可に向けた誇張したアピール」と疑っており、職員の教育や、意思疎通により体調を把握するための通訳の活用も課題に挙げた。
ウィシュマさんは収容中に2度にわたり仮放免を申請していたが、認められずに亡くなった。報告書は、体調不良者には「柔軟に仮放免を可能とすべきだ」とした。また、元交際相手から暴力を受けていたと主張しており、ドメスティックバイオレンス(DV)被害者かどうかの検討をしなかったことを反省点とした。支援者からの申し入れ内容の情報共有も課題とした。
こうした点を踏まえ、「人権を尊重し、内外から信頼される組織になるため、改革を進める」として改善策も提示。全職員の意識改革▽医療体制の強化▽外国人の健康状態を踏まえた仮放免判断の適正化――などを挙げた。
入管庁の調査チームは、関係者63人から延べ139回の聴取を実施。外部の有識者に意見も求めた。【山本将克】
米軍の原爆投下から76年の9日、長崎は台風9号の雨が早朝に上がり、青空が広がり始めた中で平和祈念式典が開かれた。しかし「あの日」を知る人たちの心は晴れない。就任後、初めて式典に参列した菅義偉首相は国の援護対象区域外にいた「被爆体験者」の救済にも、今年1月に発効し核兵器の保有などを禁じた核兵器禁止条約への参加にも触れなかった。6日の広島平和記念式典では対象区域外住民の救済に言及していた。「長崎を差別する気か」。怒りの声が上がった。 【写真特集】長崎原爆の日 朝から祈りに包まれ ◇首相が被爆体験者の救済に触れず 「実質ゼロ回答だ。広島では回答したのに、長崎の被爆体験者の求めはたなざらしのままだ」。式典後、菅首相と面談した被爆者5団体の一つ、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(81)は肩を落とした。 被爆体験者は原爆投下時、国が定める被爆地域(爆心地から南北へ約12キロ、東西へ約7キロ)の外にいた人たち。被爆地域が当時の行政区域などに沿って指定されたため、爆心地の東西では南北と同じ半径12キロ圏内にいても被爆者と認められない。被爆者は医療費の窓口負担が原則不要で健康障害などに応じて手当も支給されるが、被爆体験者は医療費助成が精神疾患などに限定される。被爆体験者精神医療受給者証の所持者は長崎県内で5425人(3月末)に上る。 9日の平和祈念式典であいさつした菅首相は被爆体験者の問題に触れず、被爆者団体と面談した後の記者会見では「(広島では救済に向けて)県、広島市、国の3者で連携しているが、長崎は訴訟が継続中なので行方を注視する」と区別する考えを示した。 被爆体験者らの落胆は大きい。爆心地から東へ約11キロの旧戸石村(現長崎市)にいた山下マサヨさん(80)と相浦洋子さん(77)の姉妹は語気を強めた。「こんな体になったのは原爆のせい。(広島と)同じ状況にあった私たちも被爆者と認められるべきです」(山下さん) 原爆が落とされた日、4歳の山下さんと1歳の相浦さんは自宅近くの海岸で遊んでいた。閃光(せんこう)と爆音の後、暗くなった空から灰が降り、逃げ込んだ防空壕(ごう)の横にあったビワの葉に積もった。しばらくして黒い雨が降り、服が黒く汚れた。その後の生活でもため池に浮いた灰やごみをひしゃくでよけて水を飲み、畑で取れた野菜やサツマイモのつるを食べた。 山下さんは心臓が悪く、大腸がんなどの手術を受けて肺がんの疑いもある。相浦さんは幼いころから腎臓が悪く、5年前には脳梗塞(こうそく)で倒れた。国や市、県に被爆認定を求めた集団訴訟の第1陣は2017年、最高裁で敗訴が確定したが、18年に再び長崎地裁に提訴した山下さんら28人のうち21人が原爆投下後、黒い雨や灰が降ったと証言している。 山下さんらと同じ訴訟の原告団長、岩永千代子さん(85)は首相のあいさつを中継で見て「うそつきと思った」と憤る。広島高裁は今年7月、援護対象区域外にいた原告84人全員を被爆者と認め「黒い雨に打たれた人は無論、雨に打たれなくても空気中の放射性微粒子を吸ったり、混入した水を飲んだり、付着した野菜を摂取したりして体内に取り込むことで健康被害を受ける可能性があった」とした。国側が上告を断念した際、首相は「原告と同じような事情にあった人は救済するよう早急に検討する」と述べていた。 それなのに――。「一緒に裁判をしている28人はみんな病気を持っている。首相は『裁判の行方を見守る』というが、それではみんな死んでしまう。早く助けてほしい」。岩永さんは祈るように話した。【中山敦貴、松村真友、樋口岳大、今野悠貴】
概要 4 **宗谷本線(そうやほんせん)**は、北海道の旭川駅から日本最北端の稚内駅までを 結ぶJR北海道の鉄道路線です。全長は約259kmで、JRの在来線としては最北の路線。 道北の都市や集落を縦断し、生活路線・観光路線の両方の役割を担っています。 起点:旭川駅 終点:...